2019年8月17日土曜日

内観していたこと

父母が亡くなってから一人で生きるようになり手探りで感じ思い取ってきた
ことがある。これは初めて言葉を文字として残すことで自分なりの確信と
なってきたことだ。

うちの周囲の人間関係として

       親族
       お客様
       ご近所様・・・ただの顔見知りでありお客様でもない人
       

毎日お店をしながらいろいろな関わり合いの中で一人生活をしてきた。
節目の法要も欠かさず親族に案内を送信してお招きしてきた。

3回忌法要の自分なりの節目の法要も無事に済ませることができてはっきりしてきた
思いがある。

うちの父母の法要に親族が来てくれ、御供や御佛前を頂戴してきた。
それは父母が先に亡くなられた親族の法要を欠かさずにきちんと行っていたから。

だからうちの法要にもきちんと来てくれた。
ただただ法要という親族間の義理・しきたりのため。

その日以外はまったく音沙汰もない。親族の中で一人生活はうちだけ。
みんなは家族や子供など複数人で生活をしている方たちばかり。

どっちが万一の時に孤独死のリスクと隣り合わせなのか・・・・・

亡くなった父母のためには動いてくれるけど、現状一人生活のうちのことは
まったく素知らぬ態度の親族

それは父方、母方の両方に言える。

父が亡くなり少しずつ感じ取ってきたけど、確信とまではいかなかった。
3年かけてじっくりひとりひとりの態度から感じ取ってきた。

うちのことを心から気にかけてくれてる親族、日頃から声をかけて
様子を見に来てくれる親族は静子おばさんだけ。

今回のお盆でもお供え物を頂いた親族は静子おばさんところだけで、
他は親族でもないご近所さんからのみ・・・。

姉の家、その親族も同じ。姉もお盆や春の彼岸にすらお仏壇にお参りすら来やしない
(その子供(孫)に来させてるだけ)

そんな親族ばかりなので、いざという時のために自分の身は自分で守らざるを得ない
家で一人でいる時間は極力夜だけにした理由。

日曜日も臨時営業をして常にお客様と接する時間帯をもち、万一のことが
起こっても救急搬送をしてもらえる機会を自ら作っている。

大事にしなくっちゃいけないのは血縁じゃない
わたしのことをきちんと日頃から気にかけていてくれる人を大事にしなくっちゃ
いけないんだ

「人として生きること」でこんなことを学んだ3年間だった。

現在18:54
さぁ、閉店だ☆


       
       

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